本日、18時すぎ、帰宅バスの中。車窓より見える景色は薄暗く寂しい。同じ18時でも夏は、まだまだ使える時間をいっぱい残している感じで、気持ちに余裕が持てた。今は、寂しい感じはするが、余裕がない程ではない。なにせ、夕ご飯の準備が出来ていなくても、出来ていても、我が家の旦那さんは、このオバサンにそんなに期待していないとわかっているからだ。別に不満では無い。
子供たちが家い居た頃は、日が暮れるのが早い時期になると、もっと気持ちが焦っていた。夕ご飯に洗濯に、次の日のお弁当のおかずにと、夕ご飯の後片づけの後に24Hスーパーに買い物に行くこともよくあった。忙しさの中に充足感もあり幸せな時間だった。でも、その頃は、日が暮れるのが早くなると寂しいではなく、焦る の方がやはり強かったな。
寂しいと感じる日が落ちる頃は、人間は、やはり元気がなくなっている状態なのだろうか。気落ちしている状態なのだろうか。お昼ご飯を食べてから、時間がたっているから、単にお腹が空いてきている頃だからだろうか。日光にあたることが出来なくなって、もしや人間のどこかで光合成していたのが、出来なくなってしまうからだろうか。だって、最近は、人間の免疫力が腸に左右されているところが大きいとか、人間自身が分からなかった人間の機能についても色々分かってきている。もしや光合成していてもおかしくないかも。
帰路につき、待っていてくれる人が旦那さんだけだからだろうか。旦那さんもそう思いながら帰路についているのだろうか。寂しさを感じているのだろうか。
なるほど、これが秋の夜長か🥱😮💨💀🌇 負けないように、少しでも穏やかな笑顔を持ち帰らねばと思いつつ、今日はバスを降りた。
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