本日の皆既月食は、日本全国で観察できるとの二ュースを朝のラジオで聞いていたので、期待していました。まず、最初に観測を思い出して見ることが出来たのは、19時頃、会社の窓を開けてみて、見れました。上円の薄~いお月さまでした。美しい。それから帰宅のバス停に向かう道で、空を見上げると、皆既食で、すべて月が隠されてしまった状態で、お月さまの色が赤銅色(しゃくどういろ)と呼ばれる赤黒い色に染まっていました。これも妖艶。ほんとに皆既食:既に、みんな食べられてしまった状態のようでした。月食は、太陽がつくる地球の影にお月さまが入る現象で、月全体が地球の影に入ることを皆既食というらしい。あってる?地球がお月さまを既にみんな食べてしまったような状態を想像すると面白い。
そして、今回は、月食中の月に天王星が隠されるらしい。今度は、月が天王星を食べてしまうのだろうか。普段は、月の明るさに負けて見えにくい天王星が見えやすくなるらしい。私には、こちらは夜空を見上げてもみつけられなかったのですが、双眼鏡や望遠鏡を使えば見えたらしい。次の皆既月食は3年後らしいが、この皆既食中にもう一つ天王星食のような惑星食が起こる現象は、桃山時代以降の442年ぶり、これを逃すと322年は見られない現象とのこと 実際、天王星食をしっかり観測できていないので実感はないが、この稀なこの現象が起こった日に生きていた、立ち会えたという解釈で喜んでおこう。
人を考えるときには、オバサンの中では、人生100年時代と言われるようになったように、100年で双六上がりのイメージだ。それなら、宇宙を考えるときには、やはり光年っていう単位でイメージしたら良いのだろうかっといっても想像に難しい。以前、映画のゼロ・グラビティ(無重力)という映画を見た。映像が、澄んだ空気感で綺麗でいて、そして、恐ろしい感じがした。悠久というのか、ただ真っ暗な世界が、音もなく静寂な世界が、水分のない恍惚とした世界が、それが永久に続き、否応なしに無が続くという嫌な感触だった。そんな宇宙の中の、ちっぽけな静物でなく、生物ってだけなんだな私たち人間。彼らから見ると人間は、どう映るのでろう。戦争なんかしていたり、宇宙に繋がっていることを自覚しているのかしていないのか、身の回りの自然をどんどん壊していく、自分たちの生を否定しながら暮らしているように見える人間は、宇宙から見たら、さぞかし滑稽な生き物に見えるに違いない。
人間は、宇宙のどの部分かの歯車になっていることを信じて、ただただ自分たちの生に感謝し、その生に正直に日々を紡いでいけばいいだけなのに。そのように、ってか、具体的にイメージできないけど、そんな感じの謙虚さをでもって、オバサンも旦那さんと暮らしていこう。
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